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2007年9月12日 (水)

韓国ー①扶余に行ってきました。

韓国ドラマ薯童謡(ソドンヨ)に嵌りにはまってしまっい、ついに韓国扶余(百済の都があったところ)まで行ってしまいました。そして本当にラッキーなことに ツアーガイドさんが 古代朝鮮について専門的な勉強をしている方でした。どんな質問にも的確な説明が帰ってきます。このガイドさんのおかげで非常に充実した百済訪問になりました。

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① 国立扶余博物館

館内は撮影禁止ですが扶余博物館についての素晴らしいサイトを見つけました。コ邪馬台国研究会のHP 扶余博物館 

古代、陸路よりも水路回路が古代人の流通経路だったことを思えば 古代朝鮮と日本とは 民間レベルでも九州と本州くらいの濃い繋がりがあったことは用意に想像できます。言葉も同じ膠着語を使うウラルアルタイ語族同士。遠い昔 朝鮮と日本は親戚付き合いをしてたと想像しても あながち間違いじゃないような。

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扶余博物館に展示されてい七支刀。同じものが奈良の石上神社にも収められています。石上斎宮が祭祀の時に使う神聖な刀です。

もし百済が滅亡しなかったら、百済頭脳集団は日本に渡ることはなく、奈良の大仏も正倉院も作る事も非常に困難だった筈。当時の百済の技術の高さに驚くばかりです。でも私が何をいっても↓のHPに言いたいことはすべて書いてあります。興味のある方 是非是非見てください。

邪馬台国研究会のHP 扶余博物館

② 宋山里古墳群・武寧王陵

ソドンヨの主人公のモデルになった王様です。古墳を最初に発見したのは在韓日本人教師だとそうです(byガイドさん)

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博物館では 発見当時のままの展示があります。棺は日本のヒノキが使われています。日本から献上したものでしょうか。

詳しくは↓を是非是非みてください。発見当時のリアルな映像もあります。邪馬台国大研究会のHPはとても分かりやすく詳細です。

邪馬台国大研究会HP 宋山里古墳群・武寧王陵

日本書紀によると 武寧王は 九州筑紫の各羅島でうまれたので「島君」とも呼ばれています。また桓武天皇の生母は武寧王の子孫とも言われています。民間レベルでも王室レベルでも日本と朝鮮の深い繋がりが伺えます。武寧王については「日本書紀・雄略天皇」に記載されています。

雄略天皇って確か「こもよ みこもち ふくしもよ みぶくし持ち、この丘に菜摘ます子、家聞かな 名乗らさね」の歌を残した天皇だったと思うんだけど(調べろよ、自分!)古文の時間に習ったのをうっすら思い出しています。「こも」も「ふくし」も菜を摘む道具で「み」は修飾の接頭語、「家を聞く」というのは 結婚の申し込み(妻問い婚)、「名を名乗る」のは結婚の承諾と教わりました。雄略天皇は野原に野草を積みに来ていた若い女性に一目ぼれしたわけですね。この問答歌のおかげで、おおらかで、雄大で果敢な天皇のイメージが焼きついてしまっていました。ここで雄略天皇の名前を見るなんて 昔憧れた部活の先輩に再会したみたいです(^^)

つづ5( 金)宋山里

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